ソ連製СН-4Бとチェコスロバキア製SA2ポテトプランターに関する調査
設計思想・構造上の類似性と相違点
ソ連の「СН-4Б」は4条植え付けが可能な大型のじゃがいも植付け機(カルチベータープランター)で、チェコスロバキア(当時)のAgrozet社製「SA2」シリーズ(例:SA2-074)は2条植え付けのポテトプランターです。それぞれの設計には共通点として半自動でのイモ植え付け機構(回転するスプーン状のカップで種イモをすくい、一定間隔で畝の溝に落とす機構)が挙げられます。また施肥同時施行にも対応し、植え付けと同時に肥料を溝に投入し土をかぶせる仕組みを備えていました。
しかし両者には構造上の大きな相違もあります。СН-4БはトラクターのPTO(後部動力取り出し軸)によって駆動される設計で、車輪は支持用であり植え付け間隔の制御には関与しません。一方、Agrozet SA2系プランターは地面を踏む車輪で機構を駆動する方式でした。
また、条数・規模の違いも明確です。СН-4Бは4条植付けで大型トラクター向け、SA2シリーズは2条(最大4条)で中小型トラクター向けでした。共通する設計思想を持ちながらも、両者は農業規模や国の技術体系に合わせた独立した開発であったことがわかります。
SA2プランターの製造時期と背景、国内・輸出展開
チェコスロバキアのAgrozet社(Agrostroj Prostějov)は1964年以降、ポテトプランターの量産を開始し、1985年前後には**SA2シリーズ(SA2-074, SA2-065, SA2-077)**が開発・供給されていました。東ドイツ向けには6条のSA2-077、ルーマニア向けには4条のSA2-065、ポーランド向けには2条のSA2-074が供給されており、東側諸国への供給分担を反映していました。
国内向けのほか、少数ながら西側諸国やその他の国への輸出も行われ、日本にも少数が流入した可能性があります。
Agrozet社とZetor社、Motokovの関係
- Zetor:チェコスロバキア・ブルノの国営トラクターメーカーで、Agrozetグループの一部。
- Agrozet:チェコスロバキアの農業機械製造コンツェルン。Zetorも含む。
- Motokov:チェコスロバキア国営の輸出公社で、ZetorトラクターやAgrozet製農機の輸出窓口。
Agrozet製のポテトプランターにZetorブランドが使われることがあり(例:「Zetor 2-078」名で販売)ました。Motokovがこれらの輸出を担当しており、製造・ブランド・輸出が分業されていた体制です。
技術提携・設計流用の有無
調査の結果、СН-4БとSA2の間に直接的な技術提携やライセンス供与の記録は確認されていません。両者は類似した設計思想(スプーン式植付け、施肥同時作業)を共有していたものの、それぞれが独自に開発・改良された機種であり、構造・駆動方式・スケールなどで大きな差異があります。
COMECON内の分担と協力
東側諸国の中では、チェコスロバキアがジャガイモ植付け機の供給担当国とされており、ソ連は自国内需要向けにСН-4Бを供給しつつ、チェコ製の一部農機も導入していました。ただし、直接的な部品共通化や製造協力の証拠は確認できませんでした。
技術カタログ・資料・博物館展示
- SA2シリーズの技術マニュアル・カタログは現在もScribdなどに多数存在。
- СН-4Бの技術資料もソ連の農業機械書籍に多く掲載されたと考えられる。
- チェコ国立農業博物館や一部農機専門サイトではAgrozetやZetor製品が紹介されている。
日本への輸出と現存状況
SA2プランターが日本に輸出された明確な記録は存在しませんが、一部が個人輸入・展示機として流入していた可能性があります。現時点で国内での稼働例や展示例は未確認です。
参考リンク
- Agrozet SA2-074(Zetor 2-078)紹介(スウェーデン中古農機)
https://andershornstein.se/objekt/zetor-2-078 - Agroportal.cz(チェコ農機史)
https://www.agroportal24h.cz/ - Scribd内SA2-074マニュアル
https://www.scribd.com/document/464614208/Agrozet-SA2-074-Manual - Wikipedia(Zetor)
https://en.wikipedia.org/wiki/Zetor
まとめ:
СН-4БとSA2はいずれもスプーン式植付けの機構を備えた実用的なポテトプランターであるが、設計起源・製造体系は独立しており、公式な技術提携は存在しない。ZetorブランドがAgrozet製品にも使用されたのはグループ内のブランド戦略によるものであり、Motokovが輸出実務を担っていた。