日本の水稲栽培における移植栽培主流化の歴史と技術的背景

はじめに: 移植栽培と直播栽培の概要

日本の水稲栽培には大きく分けて2つの方法があります。一つは移植栽培で、苗代(育苗床)で育てた稲苗を水田の本田に植え付ける方法です。もう一つは直播栽培で、種もみを直接水田に播いて育てる方法です。現在の日本では移植栽培が一般的であり、直播栽培は特殊な事情で一部地域に限られる方法とされています。本稿では、弥生時代から現代に至る歴史を通じ、なぜ日本の稲作で移植栽培が主流となったのか、その背景を技術的・社会的要因から考察します。また、移植栽培と直播栽培の収量や労力、リスク等の比較について、論文や公的データを引用しつつ整理します。

稲作技術の歴史的変遷(弥生時代~現代)

弥生時代: 稲作伝来と初期の栽培法

日本列島への稲作伝来は紀元前後の弥生時代にさかのぼります。稲作技術が未発達だった当時でも、種もみを直接田にまく直播法と、苗代で育てた苗を田植えする移植法の両方が行われていた形跡があります。従来は「稲作導入当初は直播が主体で、移植は奈良時代以降に本格化」と考えられてきました。しかし、近年の考古学調査で縄文時代晩期から古墳時代にかけての水田遺構が各地で発見され、そこから整然と並ぶ稲の株跡(苗を植え付けた痕跡)が数多く検出されています。岡山県百間川遺跡の例では無数の稲株痕が確認され、その配列状態から田植え(移植)が行われていた可能性が指摘されています。つまり、日本でも稲作初期からすでに苗代で苗を育てて植える移植技術が用いられていたことが裏付けられつつあります。これは稲作が大陸から伝来する際に、灌漑や農具とともに移植技術も一括して伝わった可能性を示唆しています。

古代~中世: 移植栽培の定着と発展

古墳時代から奈良時代(3~8世紀)にかけて、日本各地で水田開発が進みました。律令国家では稲が租税の基本となり(租米)、安定した収量を確保することが重要課題でした。こうした中、移植栽培による集中的な稲作が定着していったと考えられます。奈良時代以降、田植えの儀礼が文献にも見られ、稲作は社会経済の中心に据えられました。中世には農業技術の改良も進み、二毛作(稲の後作に麦を作る)や品種の分化も見られました。水田では用水路やため池による灌漑システムが発達し、田植え(移植)はその体系の中で当たり前のものとなりました。各農村では水利組合的な共同体が形成され、水管理や田植え・収穫は共同作業で行われました。このような社会体制も、移植栽培の普及を支える基盤となりました。

近世(江戸時代): 移植栽培の普及と改良

江戸時代(17~19世紀)には、日本の稲作技術が一層洗練されました。基本的に全国で苗代で苗を育て、初夏に田植えをする方法が広く普及していました。田植えは農村の重要な共同作業であり、近隣の人々が**「結(ゆい)」と呼ばれる互助組織で助け合いながら田植えを行いました。田植えの時期は地域によりますが、暖かくなった4月末~5月頃にかけて行われ、田植えは初夏の風物詩でもありました。収量向上のための工夫も行われ、明治維新直前の19世紀にはすでに代かき(田植え前の土壌耕起・整地)疎植の概念が知られていました。実際、明治30年代(1890年代)頃からは、田に縄を引いたり「型付け」と呼ばれる道具で目印を付けて苗を整然と一直線に植える「正条植え」が普及しました。これにより株間が揃って日当たりと風通しが改善し、除草もしやすくなって収量が増加**したと報告されています。このように江戸から明治期にかけて、移植栽培の技術は伝統知と工夫によって大きく進歩しました。

近代(明治~昭和): 北海道稲作と機械化の時代

19世紀後半から20世紀にかけ、日本の稲作は新たな局面を迎えます。一つは北海道への稲作伝播とその挑戦です。北海道では本州以南に比べ春の気温が低く、従来の方法では苗代で苗を育てることが難しかったため、明治期には育苗が最大の障壁となっていました。この問題に対する革新的解決策として、明治26年(1893年)に湛水直播栽培(湛水田に直接種を播く方法)が北海道で開発されました。直播は育苗が不要で、地温が上がってから播種するため低温の影響を受けにくく、北海道のような寒冷地稲作の「切り札」とみなされました。さらに直播栽培は当時としては**多収(高収量)でもあったため急速に採用され、明治38年(1905年)に黒田式直播機(種まき機械)が発明されると普及に拍車がかかりました。事実、昭和初頭には北海道の稲作面積の約8割が直播法になるほど普及しました。しかしその後、昭和10年頃(1935年前後)に油紙などで苗代を保温する「保護畑苗代」**といった安定した育苗法が開発されると状況が一変します。育苗技術の確立によって移植栽培の安定性が高まり、北海道でも直播から再び移植への転換が進みました。直播栽培は昭和40年代(1960~70年代)には一度ほぼ姿を消します。

同じ時期、日本全体では農業の機械化が進展していました。田植機(稲の移植機械)の研究は実は明治時代から試みられていましたが、実用化・普及したのは高度経済成長期の昭和30~40年代(1950~60年代)です。昭和40年代には手作業の田植えが大幅に機械に置き換わり、かつて苗を手で植えていた「早乙女」と呼ばれる女性たちの姿も田んぼから消えていきました。機械移植の普及によって、移植栽培は大量の労働力を要するという弱点を克服し、日本の稲作は大規模経営にも対応できるようになりました。このように近代以降、寒冷地での技術革新(直播→育苗)機械化によって、移植栽培は引き続き日本の稲作の中心的手法であり続けたのです。

現代: 移植栽培の継続と直播栽培の再評価

21世紀の現在でも、日本のコメ作りは主に移植栽培で行われています。ただし、農業従事者の高齢化・減少に伴う労働力不足や、規模拡大志向の農家の増加を背景に、直播栽培が再評価・再導入される動きもあります。近年では種籾に鉄粉を付着させて沈める「鉄コーティング直播」や、不耕起でV字溝に種を播く乾田直播など、省力化技術の開発により直播の安定性向上が図られています。農林水産省の調査によれば、令和5年(2023年)産の水稲直播栽培面積は全国で約3.9万ヘクタールと、総作付面積約134万ヘクタールの約2.9%にまで増加しています。この面積は10年前(平成25年頃)の約1.6%から拡大したもので、特に大規模経営の担い手による導入が進んだことが要因とされています。直播の拡大は労働時間削減や作業ピークの分散への期待によるものですが、依然として全体から見れば少数派です。その理由として次に述べるような技術的課題があるためで、直播栽培にはその方式に応じた適切な栽培管理が不可欠と強調されています。

移植栽培が主流となった技術的・環境的要因

気候・生育期間への適応と収量安定性

日本の気候や生育期間の制約において、移植栽培は大きな適応上の利点がありました。苗代で苗を育てることで、発芽初期の成育を比較的制御しやすい環境で行い、田植え後の生育日数を短縮できます。これにより、寒冷地や高緯度地域でも稲作が可能となり、収量の安定性が向上しました。実際、北海道で直播が一時的に広まった後、安定した育苗技術の開発によって移植栽培に回帰した事例は、この収量安定性の重要さを物語っています。移植栽培では苗を育てる段階で病弱な苗を選別・淘汰でき、丈夫な苗だけを田に植えることが可能です。一方、直播では発芽・初期生育が天候や土壌水分に大きく左右され、不良条件下では芽が出揃わなかったり苗立ちが不揃いになったりするリスクがあります。その結果、直播は移植よりも収量が不安定になりやすいと古くから考えられてきました。特に大雨で種籾が流出したり、低温で発芽不良に陥ったりすると全滅に近い被害も起こり得るため、昔の農民にとって直播はハイリスクな賭けとなりかねません。このような気候リスクを緩和し収量を安定させるために、移植によって確実に苗を確保してから田に定着させる手法が重宝されたのです。

また、日本では古来より台風・冷害など気象災害が稲作に影響を与えてきました。移植栽培であれば、育苗・田植えのタイミングを調整することである程度のリスク回避ができます。例えば春先の低温が続けば苗代での播種を遅らせ、田植え時期を調節するといった柔軟性があります。一方、直播で一度種を播いてしまうと、後から調整が難しく、リカバリー手段が乏しいという弱点があります。こうした点でも移植栽培の方がリスク管理に優れ、安定した生産に適していたと言えます。

雑草制御と水管理上の利点

移植栽培は雑草抑制や水管理の面でも大きな利点を持っています。田植え前には代掻きという作業で田土を攪拌・平坦化し、水と泥で田面を泥漿状にします。代掻きにより雑草の種子は埋没・発芽抑制され、土中の雑草を土ごと練り込んでしまうため、田植え直後の水田は比較的雑草が少ない状態になります。その上である程度成長した苗を植えることで、苗は雑草より先行して生育できます。移植直後の水田では水を浅く張り続けることで稲苗に有利な環境を保ち、遅れて生えてくる雑草の芽は水中で日光を十分に受けられず抑制されます。この**「水による除草効果」**は伝統的な稲作の知恵であり、移植栽培と灌漑管理が相まって成り立つものです。

一方、直播栽培では種もみが雑草の種子と一緒に土中・水中にある状態からスタートするため、稲と雑草が同時に発芽生長して競合しやすくなります。とりわけ明治以前の時代には除草剤などないため、直播だと発芽直後から集中的な手取り除草が必要で、結果的に移植以上に労力を要することもありました(労力面については後述)。この雑草問題は直播技術普及の大きな障壁であり、現代でも直播では適切な除草体系(除草剤の活用や抑草品種の利用など)を組むことが不可欠です。実際、全球的な分析でも直播栽培で収量が低下する主因の一つは雑草管理の難しさであると指摘されています。

水管理の観点でも、移植と直播では手法の違いがあります。移植栽培では田植え後に一定期間冠水状態(浅水管理)を保つのが一般的で、これは雑草抑制と苗の活着促進に役立ちます。他方、直播栽培には大きく分けて乾田直播(水を張らない状態で播種)と湛水直播(水を張った状態で播種)があります。乾田直播では播種後しばらくは地表を湿らせる程度で水管理し、芽が出揃ってから徐々に湛水に切り替えます。湛水直播では最初から浅く水を張った田に鉄粉などでコーティングした種籾を播きますが、水深やタイミングを細心に管理しないと播種直後に種が沈みすぎたり流れたりして失敗につながります。つまり、直播では発芽・初期生育期の水管理が非常に繊細で、伝統的な水田管理とは異なるノウハウが求められます。一方、移植栽培は田植え後の管理が比較的単純で、ある程度水を張っておけば苗が活着して成長します。加えて、移植では代掻きにより田面が平らになるため水が均一に行き渡りやすいのに対し、乾田直播では不整地のまま播く場合もあり、水のかかり方のムラが苗立ちムラを生みやすいという難点もあります。総じて、水田稲作の伝統的な灌漑システムや集中的除草には移植栽培が適合的であり、直播はそれに比べて管理難度が高かったと言えます。

収量面での優位性と品質

収量(単位面積あたりの収穫量)の点でも、移植栽培は長らく優位を保ってきました。一般に、移植栽培は直播より収量が高いことが多くの実験や統計で示されています。農林水産省が平成期に行った実証事業のデータでは、直播栽培の単収は平均488kg/10aであったのに対し、移植栽培では526kg/10aで、約7~10%ほど移植の方が多収でした。こうした差は世界的に見ても同様で、あるメタ分析研究でも直播米の収量は移植米より平均12%低いとの結果が報告されています。もっとも、この収量差は管理技術や条件に左右され、適切に管理された直播では移植とほぼ遜色ない収量が得られる場合もあります。逆に管理不十分な場合には極端な減収(移植比で-40%以上)になる事例もあり、直播は技術・条件次第で収量の変動幅が大きいとも言えます。収量安定性の観点から、生業として確実に米を収めねばならない立場の農民にとって、移植のほうが計算しやすかったのは想像に難くありません。

移植栽培が多収になりやすい理由として、前述の雑草抑制による稲の生育促進に加え、個々の稲株が十分に分けつ(茎数を増やすこと)できることが挙げられます。直播だと初期に高密度で芽が出る分、一株あたりの分けつが少なく穂数が減りがちですが、移植では適切な株間で植えることで茎数と大きな穂(着粒数)を確保できます。実際、前出のメタ分析では直播は穂数(単位面積当たりの穂数)は増える傾向がある一方で一穂あたりの粒数が減り、千粒重(粒重)も減少する傾向が示されています。これは直播では密生や環境ストレスにより個々の稲に十分な資源配分がされにくいことを意味します。移植栽培では栽培者が適度な苗数で植付け、肥培管理も調整しやすいため、一株ごとのポテンシャルを高めやすかったと考えられます。

品質面については史料に乏しいものの、近年の課題として直播栽培では**米粒の品質低下(胴割れ米や白濁粒の増加)**が指摘される場合があります。これは直播で水管理が難しく登熟期のストレス(高温や干ばつなど)を受けやすいことや、成熟期が移植より遅れるため不利な気象条件に遭遇しやすいことが一因と考えられます。移植栽培では地域にもよりますが直播より1~2週間程度収穫期が早くなる傾向があり、気象リスクを回避して品質を確保する上でも有利でした。総じて、量・質両面でより確実性の高い移植栽培が選好され、伝統的にも主流を占める結果となったと言えます。

労働力と農村社会の要因

移植栽培は田植えや苗代管理といった作業に多大な労働力を要しますが、歴史的には日本の農村社会の仕組みがこれを支えてきました。前述の通り、田植えは村落の共同作業として位置づけられ、家族労働や結(ゆい)的な助け合いで人手を確保していました。とりわけ稲作が主要生業だった時代には、一年で最も重要なイベントとして村中総出で田植えを行い、歌や踊りを伴う田植え祭りが各地に伝わるなど、労働と文化が結びついていました。労働力が潤沢に確保できる前提では、多少手間がかかっても安定収穫が見込める移植法が選ばれたのは自然な成り行きです。

一方で、直播栽培の利点である省力性が注目されるのは、労働力に制約が出てきた現代ならではとも言えます。農林水産省の試算では、従来型の移植栽培に比べて直播栽培は育苗・田植え作業が不要な分、10aあたり労働時間で約2割(25%)削減できるとされます。また、生産コストも苗代管理や田植機作業費が省けるため10aあたり1割程度低減するデータがあります。こうした省力・低コスト効果は、高齢化した農家や大規模経営で作付面積を増やしたい担い手にとって魅力的であり、21世紀に入ってから直播を導入する動機となっています。ただし、直播は収穫期が移植より遅れる傾向があるため、一部を直播にして移植と組み合わせれば作業ピークの分散に役立つというメリットも指摘されています。これは大規模農家が一人当たりの作業負担をならすために直播を一部採用する戦略として有効です。結局のところ、伝統社会では人海戦術で移植が可能でしたが、現代では人手不足を補うために技術革新(機械化や直播)が求められているという構図です。もっとも、機械化について言えば、日本は**移植そのものを機械化(田植機導入)**する方向に進んだため、他国のように全面的に直播へ転換する動きは限定的でした。田植機の普及により、かつては重労働だった移植作業が大幅に省力化されたことも、結果的に移植栽培の主流維持につながったと考えられます。

品種適応と技術革新の側面

技術的理由と関連して、稲の品種特性も移植栽培の主流化に影響しました。古来日本に伝わった稲には「ジャポニカ」の中でも熱帯ジャポニカ温帯ジャポニカの系統がありました。熱帯ジャポニカ種は丈が高く粗放的環境に適応しやすい一方で、温帯ジャポニカ種は気温・水分など栽培環境を整えないとうまく育たない繊細さがあると言われます。日本の弥生遺跡からは熱帯ジャポニカ系統の籾も多く見つかっており、初期には比較的粗放栽培にも耐える品種も半数程度含まれていたようです。しかし、時代が下るにつれてより高収で良食味の温帯ジャポニカ(例えばコシヒカリのような品種)が主流となっていきました。これら繊細な品種では、適切に苗を育て水管理をする移植栽培の方が安定して育成できた可能性があります。

また、品種改良の歴史を見ると、直播向きの品種開発は近年まであまり重視されてきませんでした。直播栽培では発芽の勢いや初期成育が鍵となりますが、日本の主要品種は移植前提で選抜されてきたため、直播に不向きな点(例えば出芽の遅さや耐雑草競合性の弱さ)が障害になるケースもあります。実際に、「コシヒカリ」を直播で作ろうとすると難しいため、直播適性のある新品種開発の必要性が指摘されています。このように品種適応性の面でも移植栽培が既定路線となっていたことは、直播の普及が限定的だった一因です。ただし近年は直播用コーティング種子や発芽促進技術の開発が進み、ある程度品種の制約も克服されつつあります。

技術革新という点では、前述の機械化以外に肥料・農薬の進歩も挙げられます。高度成長期以降、化学肥料の投入や農薬散布で高収量を狙う集約栽培が進みました。その中で、条植えによる適正密度の確保育苗箱栽培による健苗育成など、移植栽培と親和性の高い技術体系が整備されました。結果として、生育中の管理(追肥・防除)もしやすい移植が主流維持されたとも言えます。一方、直播では一度播種すると生育初期の手入れが難しいため、農薬散布などは大型機械や航空機を用いる場合もありましたが、日本の細分化された水田ではそうした手法は限定的でした。このように、周辺技術やインフラも含めて稲作の生産体系が移植栽培を中心に発展してきたことが、主流として定着した背景と言えるでしょう。

移植栽培と直播栽培の比較(収量・安定性・労力・リスク他)

ここでは改めて、現在得られるデータや研究に基づき移植と直播の長所・短所を主要項目ごとに比較します。

収量とその安定性

労働時間・コスト負担

病害・虫害リスク

水利用と環境への影響

その他の比較ポイント

おわりに

以上、日本の水稲栽培で移植栽培が主流となった理由を歴史と技術の両面から考察しました。弥生時代の稲作導入当初から移植の技術は使われており、その後も気候への適応、雑草・水管理のしやすさ、高い収量とその安定性、社会組織との親和性など、多くの面で移植栽培は優位性を示しました。特に稲作が日本の経済・社会の基盤だった時代には、多少労力がかかっても確実に収穫を得ることが最優先であり、移植栽培が揺るぎない地位を占めてきたのです。一方で、直播栽培も常にその可能性が模索され続け、北海道での一時的な大規模普及や、近年の省力化ニーズに伴う再評価など、その位置付けは時代によって変化しています。移植と直播の比較においては、収量や品質の移植、労働効率の直播というトレードオフが基本にありますが、技術開発により両者の差は徐々に埋まりつつあります。現代では環境負荷低減や気候変動への適応という新たな視点も加わり、直播栽培にも一定の脚光が当たっています。ただ、引用したデータが示すように、依然として直播は全体の数%に留まる補完的手法であり、日本の稲作文化・技術体系は移植栽培を中心に回っています。今後、労働力不足が一層深刻化すれば直播の役割も増えるかもしれませんが、それでも収量安定と高品質米生産の要として移植栽培の重要性は揺るがないでしょう。日本の稲作は、長い歴史の中で培われた移植栽培という知恵と、それを補完・発展させる直播栽培の両輪によって、これからも持続的に展開していくと考えられます。

参考文献・出典: 文中で示した資料【】内の番号は以下の出典を指します。歴史的事項は米穀機構「お米の文化と歴史」や滋賀県教育委員会の考古学調査報告、農林水産省の情報ページ等を参照し、比較データは農林水産省の公開統計・報告資料および学術論文(メタ分析など)から引用しました。