北海道を創る機械

はじめに

北海道は自然が豊か... 知床の海を見て、大雪の山々を見てその感情を抱くことがある。 同じ感情を十勝平野、オホーツク、空知のほ場を見て抱く人もいる。 農場生産の現場に自然はあるかというと、太陽、水、風、土、生物がそれぞれ一体となって作物が生産される場ではあるため、自然がなければそもそも農業生産ができないため、自然はあるのだ。

しかし、知床や大雪を見て抱くその感情と、ほ場を見て抱く感情は同じだろうか。異なるはずである。 なぜならば、農業生産ほ場は、農業生産をしやすいように、人為的な撹乱が加えられた場で有るからである。同じ自然であっても土台となる土地そのものは改変されたものなのだ。

このように書くと、なんて農業は卑劣な、と思う人もいるかもしれない。 確かに、もともとあった木々、湖沼、草原の中には豊かな生態系があったはずで、それを破壊して、人間の都合の良いように、農業生産の効率を高めるために、ほ場は創られた。 そこの良し悪しは、人間が生きている限り正解がないため、別な項に譲るとするが、自覚するべきは、食料の増産と共に近代文明は発達し、人工は増加し、今のあなたとその家族が生きているということだ。 「いや、私は文明の利点は受けていない」と考え逃げる人もいるだろうが、地球上で、しかも先進国と言われる国で、生きている人はその言い訳はできない。文明が発達しなかったら、あなた・私は存在しない。

若干脱線気味になってきたので話をほ場の話に戻す。 簡単に、農業生産ほ場は農業生産をしやすいように人為的な撹乱が加えられてきた、と書いたが、では実際にどのような撹乱が加えられてきたのだろうか。 もしあなたが、眼の前に広がる原野を手渡されて、ここの原野を全て開発せよと命令されたとして、どのように開拓して農業生産ほ場を創るだろうか。 現代に生きる人々は過去の動画資料や本を頼ることができ「木を切って」、「切り株を抜いて」、「土を耕せばいい」のではないかと想像ができるかもしれない。 しかし、どのようにそれらを実行すればよいだろうか、それらを実行しただけで、望ましい農地ほ場は手に入るだろうか。 北海道開拓が行われ始めた150年ちょっと前の人々は、これからの期待にワクワクしつつも途方にくれていたはずだ。いったいどうしたら土地は切り開かれるのだろうかと。 木を切って切り株を引っこ抜いてもそこに残るのは小さい雑木やササばかり、あまり草木が少ない土地だからと行ってみればズブズブの沼地か火山灰。 はて、果たしてここに農地は開かれるのだろうか。

答えは目の前の光景にある。 先人たちは苦労に苦労を重ね、知識を取得し積み重ね、立派なほ場を造成してみせた。 そして私達は生きている。

本書は先人たちの血と汗と涙と笑いの先にある、現在の農業生産ほ場がどのようにして創られたのかをまとめたものである。

もちろん筆者が開拓したわけではなく、文献情報と開拓に使用された機械を見歩いた記録をもとに書いている。そのため誤りも多く含まれてしまうことが予想されるがご容赦いただきたい。ぜひ、誤りや追加情報があればメールアドレスに送付いただきたい。 (鎌田)

開拓から高度な農地整備

北海道農業開発公社

粗粒火山灰土の土層改良

この写経

矢野先生は2011年に亡くなられた... 私が先生の思いを引きついで伝えようじゃないか。 訃報