北海道の農業機械発達史
北海道大学のモデルバーンに,高井先生,あるいは岡村先生がまとめてくださった,数枚のパネルが置いてある.なぜか奥の方に押しやられているので,復活させたい.
とりあえず,文字起こしすることにした.
農用トラクタの普及経過
戦前の鉄車輪輸入トラクタ(展示品は1925年前後に輸入された,Derring 10-20 型トラクタ)
1914年に第1次世界大戦が勃発すると,北海道農業は好況を呈したこともあり,日本で初めて農用トラクタを導入したのは,1915年(大正4年)に三井物産(株)が斜里原野を3600 ha 払い下げ受けて大規模麦作を行った三井合名会社斜里農場である.
トラクタは1918年にアメリカHolt社製 T11型クローラトラクタ,縦型4気筒ガソリンエンジン30 ps/1070 rpm, 前進2段,更新1段,全重4 ton, 牽引力1.6 ton(5.6 km/h)であった.また,鉄車輪型トラクタは,1918年(大正7年)に展示トラクタの導入者,谷口農場であると言われている.
その後,札幌興農園と日の丸産業は,それぞれトラクタの輸入販売に着手した.
1935年の統計によると,北海道内に50第が導入されている.
その後,日中,第2次正解対戦という戦時体制となり,全ての輸入が途絶えた.
戦後のゴムタイヤ輸入トラクタ(展示品は1955年以前に輸入されたFarmall-Cub, 1957年頃に輸入されたHolder)
第2次大戦によって,ゴムタイヤ車輪が一般化し,海外のトラクタは全てゴムタイヤを装備して,軽快に走るようになっていた. 一方,日本の敗戦と共に食糧難に直面して,食糧増産が叫ばれると,軍需産業が平和産業ばかりと手を出し,大砲を引いたクローラを改造して開墾用のトラクタ(展示品の貢姿勢は資材不足から全軍需会社かが共通の設計図で製作したクローラトラクタ,果糖型は農業用として開発したもの)まで製造したから,急速に機械化ムードが高まった. 続いて,1951年に札幌興農園がIHC製品(Farmallシリーズ)三国商工がドイツのLanz製品(Bulldog, Alldog),第一通商がアメリカのCase製品,三菱自動車がWillis Jeep(農業仕様)を扱って,トラクタの輸入販売が始まった. このように販売店が急増したのは,農政が機械化を叫び,ついには1952年に「農業機械化促進法」を制定して,機械化方針を明確にし,宣告規模の旭川大博覧会を開いて初めてトラクタの市内パレードを行ったためである.
そこで同年に北海道自動車がFord製品(Fordsonなど),1954年に東急自動車がMassy Furguson製品(TE-A, TE-F, MF135など)を扱って販売に参加した.
その後も農政の主導が続き,農水省がトラクタを購入して,農家に貸す「国貸トラクタ事業」,これを引き継いて北海道が貸与する「道貸トラクタ」を併せて,延800セットも購入するなど,機械化ムードを煽った.
その結果,北海道内の普及台数は1955年に55台に過ぎなかったが,ジーゼルエンジン化が始まった1960年に218台,構造改善事業が始まっている1966年に12080台,1970年に42220台,1977年には農家戸数よりトラクタ台数が上回るまでに広まった.
国産トラクタの発達(展示品は,水田地帯のトラクタ化の走りとなった小松製作所農民車)
自動車産業の発達によって,農用トラクタの国産化が技術が蓄えられたこと,農業構造改善事業によって町村ごとに数十台が導入されることが見込まれると,農業機械各社はこぞってトラクタの国産化に走った.
さらに低コスト・高性能なトラクタ生産体制を作って,先進国の農用トラクタ会社の小型機をOEM生産するようになり,今日では世界の40 kW以下トラクタの大半を日本製品が占めるまでになった.
しかし,昨今の厳しい農業情勢に’よって,農業後継者難,就業者の高齢化,輸入農産物に対抗できる低コスト生産要求など,の障害によって,農家戸数が減り続け,トラクタの普及台数も減少するようになった.
国内に現存する鉄車輪トラクタ一覧
McCormick Derring - 10-20 型
世界の農機企業であったIHC社が1922年に出した,20 ps の重作業用トラクタ
- 北海道開拓の村:
国立と道立に分離する前の北海道農業試験場の真駒内牧場が1928年に購入して利用していたが,終戦と共に農場が駐留軍に接収されたため,新得畜試に移管し,さらに開拓危険感設立時に現在地に移された. なと同場のBest-30型クローラトラクタは道農試の一方である北農試に移管されて農業機械研究所が保管している.
- 北大農学部(本会場の展示物):
札幌市丘珠の牧草業谷口農場が1926年から28年に購入した3台のうち1台を北大に寄贈.
Fordson-F型
Hフォードが大量生産方式で価格破壊を実現したという4気筒23 ps のガソリン期間トラクタ
- 八雲町の元山農場:
1913年(大正12年)に明治維新に歯医者となった徳川氏が資金を出した徳川農場が導入.このトラクタはすでに家臣たちに農地開放をして自作農にしているものの,さらにトラクタやエンシレージカッターなどを買い与えて支えた機種の1台.
- 北海道自動車短大
学習院で皇太后陛下と動機であったという盛岡の華族,草鹿才之助が1927年(昭和2年)に興農園から購入し,北見紋別の草鹿農場で利用していたもの.
- 福島県の岩瀬牧場
文科省歌「牧場の朝」のモデルと言われる宮内省直営牧場を払い下げた牧場で,政治の黒幕と言われた小針暦二氏が経営.
また,北大農場も本体価格2500円で導入したという記録があるが,現物は残っていない.
McCromick Farmall 型: IHC社が1924年に発売した,Tricycl汎用型機種
- 小松メック社:
大阪の製パン業者水谷政治郎が昭和7年に小清水農場に導入したトラクタ. 水谷は,千歳,足寄,丸瀬布,小清水町に大規模な農場を設けて麦作を行い,道内のトラクタの数10 % を持つ先進的農場で,特に小麦の連絡のためにトラクタを使った深耕を中心としていたというため,戦後の深耕事業やトラクタ化への先駆者.
- 盛岡市郊外の小岩井農場
同農場が導入したトラクタを観光客の遊ぶ広場に展示.
トラクタ時代初期(鉄車輪時代)
本邦初の輸入蒸気・ガソリン機関トラクタ
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1804年にジョージ・スチーブンソン(イギリス)は、世界最初のレールを走る蒸気機関車ロコモーション号を開発・営業。
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1859年にトーマス・アベリング(イギリス)は、減速機と車輪を付けた産業分野で元祖となる蒸気式トラクターを開発。
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1890年代 ガソリン機関トラクタ出現
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1910年代 現代的な形式のまとまりあるトラクタ出現
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明治9(1876)年に下総御料牧場が蒸気機関を初輸入した。続いて明治27年に岩手小岩井農場が蒸気機関のスチームプラウを輸入した。(別掲「農業動力の普及経過」参照)
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明治41(1908)年に小岩井農場(岩手県雫石町)がアメリカから図①蒸気機関の「トラクションエンジン」を輸入し、わが国初めてで唯一となる牽引できる蒸気トラクタとなる。
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大正4(1915)年に三井合名会社斜里農場(北海道)がアメリカholt社45Ps図②半装軌式ガソリン機関トラクタ輸入、内燃機関トラクタでは本邦初輸入。開畑および耕起とサイレージ切込みに利用された。第2次大戦で滑走路作りに軍に接収され、終戦で寿命を終えた。写真③は、輸入時の記念撮影。
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大正7(1918)年に谷口農場(札幌市)がわが国初の車輪型トラクタアメリカ図④Case社25馬力ホイールトラクタを輸入し、また北海道製糖(株)が前掲②holt社半装軌式トラクタ45Ps型2台と75Ps型を輸入して清川農場の開墾とスレッシャに利用。
以下の機種は国内に現物標本が現存
- 大正11(1912)年に図⑤C L Best-Tractor社ベスト30型装軌型トラクタが北海道農事試験場真駒内種畜場(札幌)に入る。
- 大正12(1913)年に図⑥FordsonF型ホイールトラクタが徳川農場(八雲町)三重高等農林学校(三重)岩瀬農場(福島県)など10数農場に入る。
- 丸ハンドルの図⑦Claveland装軌式トラクタ(推定W型)が川田龍吉男爵農場(渡島当別)に入る。
- 昭和2(1927)年に前掲⑥FordsonF型が草鹿農場(紋別)など、図⑧McCormick Deering10-20型ホイールトラクタが谷口農場(当室展示)など、前後数年の間に各地の農場に多数入る。
- 昭和7(1932)年に図⑨McCormick Farmall型ホイールトラクタが水谷農場(製パン業者の小麦自家生産農場)に数台、小岩井農場(岩手)に入る。
- その後⑥~⑨が各所の大規模農場に導入され、昭和10(1935)年の統計に北海道内の鉄車輪トラクタは50台との記録がある。なお府県には数台の普及に止まる。
鉄車輪トラクタを導入した谷口農場
- 日露戦争を契機にして軍馬とその飼料の需要が急速に高まり、明治27年に札幌興農園(小川二郎)が樽川に100haの牧草地を拓いたのを始めに、右のように谷口甚作氏も明治37年日露講和条約締結年に飼料生産農場を設置した。
- その後も日本軍の増強と共に需要が高まり、先駆的農家の規模拡大と生産の合理化・機械化、さらに各地で馬と飼料生産農場が続出した。
- 昭和20年の第2次世界大戦の敗戦後は、軍馬需要がなくなって市場が萎んだが、谷口農場では、動物園等への販売で牧草の飼料生産を続けている。
トラクタ時代中期(ゴム車輪時代)
総論:
イギリスの産業革命に端を発した農業機械化は、日本では日露戦争を契機に牛馬の農業利用に踏み出すが、篤農家は蒸気機関トラクタを輸入し始める。
これが第1次大戦前後にガソリン機関トラクタが実用化されると大規模経営農場が積極的に取り組んで必需品とするが、ここ迄の経過は「トラクタ時代初期」に記載した通りである。
遂に第2次大戦を契機にゴムタイヤ車輪トラクタが登場して先駆的農家が有効性を裏付けると、昭和40年代に国を挙げてトラクタ機械化を推進し、昭和50年後半に全作業がトラクタ作業機で行えるようになって機械化爛熟期と呼ばれる。
これ以降は、トラクタ時代後期=現代となり、低コスト・環境調和の生産に沿う発展をするが、ここでは昭和60年ごろ迄の中期を扱うにとどめる。
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昭和20年の敗戦で極端な食糧難になったため、駐留軍GHQは、調査団の報告に従って農業機械化の推進、機械技術者育成を勧告し、さらに食糧増産と溢れた引揚者達の就農のため、緊急開拓事業の着工を指導した。
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図① 軍用車両(KomatsuT25)の設計図を各社共通に使ったT*25型装軌トラクタで農地造成が行われたが、燃料横流し等が発覚し中止させられる。
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この遊休機を使って深耕事業が始まり、事業こそ計画通りでなかったが、機械化の意義を周知させた成果が大きかった。詳細は瓦斯発生器のある別コーナーを参照。
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★ Farmall-Cub乗用トラクタ図 ②は、昭和25(1950)年に農林省が北海道農試など3場に配置したのを皮切りに、翌年に篤農家16戸が購入するなど続々と輸入された。
Cubトラクタは、わずか9.75Psの小型であるが、昭和33(1958)年までに普及した輸入トラクタ40機種631台の内でF-Cubのみで17%、同系のFarmall型を加えると25%を占め、同時輸入された作業機の種類も多いことから、北海道の農家に農用トラクタの意義・効果を知らしめた機種である。
- ★ Lanz Bulldog(展示品)とAlldog図③トラクタは、昭和27年の日本農機博(旭川)に初出展されて急速に普及し、昭和33年までに普及した輸入トラクタの23%を占めた。 これは焼玉機関で安価な灯油が使えたこととAlldogが薯掘りに使えたことが主因である。
- ★ Fordsonトラクタ図④ は、昭和27年初輸入だが、MajorとDextaのディーゼル機関に代えてから大型機として急速に普及した。
- ★ 農業用ジープ図⑤が昭和27年初輸入され、農作業よりも安価で耐久性のある自家用自動車として考えられて急速に普及した。
- ★ Furgusonトラクタ図⑥は、昭和29年初輸入だが、35X型などのディーゼル機関に代え、新採用のポジション・ドラフトコントロール三点ヒッチ機構をセールスポイントに急速に普及した。
- ★ その他トラクタ:小型軽便機のHolder型、初の4輪駆動機の**MAN AS440A型(展示品)**が昭和31年から数年販売されたが、前者は僅かに遅れて時勢に乗れず、後者は装軌式に敗れて早々に撤退した。
★ 国産トラクタ:
- 芝浦機械=昭和26年にティラのトレーラ・代掻き作業の乗用機能を応用したAT3、次にAT5型を発売し、昭和35年にS17型で本格的化した。
- 他の多くの会社は海外製品と技術提携して実力を蓄えてから国産トラクタの開発に取り組んだ。
- 小松=Normagから昭和34年にWD45型
- クボタ=Fiatから昭和35年にT15型
- イセキ=PorsheからTB20型
- それ以降三菱R301型等と続けて実力を蓄え、昭和50年代に世界の小型車を独占するに至る。